top of page
検索

他人の話に振り回されない

  • sapporobukkyoujuku
  • 4 日前
  • 読了時間: 1分

他人の話に振り回されない 見清浄に達する行者は、ヴィパッサナー瞑想の経験から、釈尊が説かれた教えはそのまま真理であることを納得しているのです。そして、さらに実践を続け、ブッダの教えはそのとおりであると、実践の経験から実証していきます。 一例を挙げると、「生きることは苦である。間違いなし。異論なし。疑問なし」というような智慧です。命に対して、この世でいろいろな人がいろいろなことを語ります。それぞれの知識人の異なる意見を聞くと、「あれも正しいかもしれません。これも正しいかもしれません。どちらも間違っているかもしれません」などなどの疑問が生じて、心が曖昧状態になるのも無理はありません。そうはいっても、曖昧さ、中途半端であること、疑で悩んでいることも、心の汚れです。客観的に自己観察を続けていくと、生きるとは何かと実証できます。そうなれば、他人の話に振り回されなくなります。この智慧によって、一段階、心が成長します。清らかになります。それが度疑清浄です。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p18】

 
 
 

最新記事

すべて表示
ヴィパッサナー瞑想の対象

サマタ瞑想とは、精神的に向上することです。ヴィパッサナー瞑想は、清浄visuddhi に達することです。精神的に向上した人の心もある程度は清らかですが、汚れる恐れがあります。清浄に達する人々の心は、当然、精神的にも向上しています。清浄の七段階を紹介してから、アビダンマ・テキ...

 
 
 
観業処:⑦ 智見清浄

観業処:⑦ 智見清浄  学校の喩えでいえば、研究が何の問題もなく進んで、論文を提出して、卒業する段階です。 ヴィパッサナーの場合は、一方通行の高速道路に入ったので、当然、悟り・解脱を経験することになります。この段階が智見清浄です。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心...

 
 
 
観業処:⑥ 行道智見清浄

観業処:⑥ 行道智見清浄  学校の喩えの続きです。五番目までに、自分の研究テーマを決めて、邪魔になる他の研究をすべて捨てたのです。その先は、自分が決めた研究テーマに沿った勉強や研究をひたすら進めます。そうして、どんどん成長していき、新たな発見をしていきます。そのような段階が...

 
 
 

コメント


bottom of page