top of page
検索

出世間レベルの智慧

  • sapporobukkyoujuku
  • 9月22日
  • 読了時間: 1分

出世間レベルの智慧 出世間レベルの智慧は、それより上です。出世間レベルの智慧とは、解脱を引き起こす、涅槃を経験させる、執着を捨てられるようになる智慧のことです。この超越した智慧に達するためには、ヴィパッサナー瞑想という観察の実践が欠かせません。解脱を目指して観察実践する修行者に、徐々に超越した智慧が現れてくるのです。 しかし、出世間レベルの智慧については、「超越した智慧とは、このようなものである」と分かりやすく定義することも、説明することも、できないのです。だからといって、何の説明もなく、超越した智慧に挑戦することも難しいと思います。智慧ではないのに智慧だと誤解する恐れもあります。ですから、観察瞑想を実践する人々は、智慧とはこのようなものである、という何らかのガイドライン的な理解が必要です。 これから、その智慧の説明に入ります。観察瞑想を実践することにより身につく智慧は、vipassanā-ñāṇa 観智と言います。十種類あります。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p34】

 
 
 

最新記事

すべて表示
見解を破る

見解を破る 解脱の境地に達する修行者は、捏造機能を止めるのです。自然に捏造してしまう習慣がなくなった状態は悟りであると、釈尊は説かれます。 修行を始めた私たちに、いきなり捏造機能をストップすることはできません。それには長い修行が必要です。順番に進めばよいのです。最初は見解を破るところからです。すべての見解がいい加減な幻覚であると発見するのです。目覚めてみるのです。 我々の心は、どれほどの見解・信仰

 
 
 
なぜ見解が悪いのか

なぜ見解が悪いのか 概念は、都合により自然に起こる捏造です。存在欲があるから、生きていきたいから、データを捏造するのです。炊いた米を「おいしいご飯だ」と捏造すると、欲が生まれる。ネズミの死骸を「不潔で気持ち悪い」と捏造すると、怒りが生まれる。牧草を「ただの草ではないか」と捏造して無関心な態度をとると、無知が生じる。このような概念を掻き回すと、貪瞋痴がなおさら強くなります。見解という幻覚になるのです

 
 
 
見解は捏造した概念の組み合わせ

見解は捏造した概念の組み合わせ 見解とは具体的にはどういうものでしょうか? 「私がいる」「私に魂がある」「世界は神が創造したものである」「全知全能の神がいる」「死後永遠の命がある」などです。宗教と哲学は組織化された見解なのです。すべての迷信も、極めて厄介な見解です。人間のあいだで一体どれくらい見解があるのか、知るすべもありません。古い見解を受け継いだりもしますし、他人の見解を学んで受け取ったりもし

 
 
 

コメント


bottom of page