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切迫感・恐怖感を感じさせる ⑴

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年10月19日
  • 読了時間: 2分

切迫感・恐怖感を感じさせる ⑴ お釈迦様もわざと人間に切迫感・恐怖感を感じさせて、人々が必死になって努力しなくてはいけない状況に追い込むこともありました。エピソードがたくさんあります。その中から、一つを紹介しましょう。 ある日の昼時、コーサラ国王がお釈迦様を訪ねました。常識的には、釈尊が人に会う時間帯ではありませんでした。そこで、「なぜ、あなたは昼時に来たのですか?」とお釈迦様が訊きます。王は答えます。「我々はとても忙しいのです。時間がないのです。やっと今少々時間がとれたので、釈尊に礼をするために来ました」と。 お釈迦様は、いきなり喩え話を出します。「もし、あなたが裁判をしているときに、あなたが北の方に送った信頼できる諜報員が来て、『王様、北の方から大きな山が転がってきます。すべての家や建物や人間や動物や植物までも潰して潰して、一人の命も残さず、こちらの宮殿に向かってきています』と報告するとします。その報告が終わるやいなや、南の方に送った諜報員が来て、『王様、南の方から大きな山が転がってきます』と、同じ調子で報告します。次に、東の方の諜報員も、西の方の諜報員も、巨大な山がすべての生命を潰しながら宮殿の方へ向かってきていることを報告するのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p47】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
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「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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