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切迫感・恐怖感を感じさせる ⑴

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月19日
  • 読了時間: 2分

切迫感・恐怖感を感じさせる ⑴ お釈迦様もわざと人間に切迫感・恐怖感を感じさせて、人々が必死になって努力しなくてはいけない状況に追い込むこともありました。エピソードがたくさんあります。その中から、一つを紹介しましょう。 ある日の昼時、コーサラ国王がお釈迦様を訪ねました。常識的には、釈尊が人に会う時間帯ではありませんでした。そこで、「なぜ、あなたは昼時に来たのですか?」とお釈迦様が訊きます。王は答えます。「我々はとても忙しいのです。時間がないのです。やっと今少々時間がとれたので、釈尊に礼をするために来ました」と。 お釈迦様は、いきなり喩え話を出します。「もし、あなたが裁判をしているときに、あなたが北の方に送った信頼できる諜報員が来て、『王様、北の方から大きな山が転がってきます。すべての家や建物や人間や動物や植物までも潰して潰して、一人の命も残さず、こちらの宮殿に向かってきています』と報告するとします。その報告が終わるやいなや、南の方に送った諜報員が来て、『王様、南の方から大きな山が転がってきます』と、同じ調子で報告します。次に、東の方の諜報員も、西の方の諜報員も、巨大な山がすべての生命を潰しながら宮殿の方へ向かってきていることを報告するのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p47】

 
 
 

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