top of page
検索

切迫感・恐怖感を感じさせる ⑴

  • sapporobukkyoujuku
  • 5 日前
  • 読了時間: 2分

切迫感・恐怖感を感じさせる ⑴ お釈迦様もわざと人間に切迫感・恐怖感を感じさせて、人々が必死になって努力しなくてはいけない状況に追い込むこともありました。エピソードがたくさんあります。その中から、一つを紹介しましょう。 ある日の昼時、コーサラ国王がお釈迦様を訪ねました。常識的には、釈尊が人に会う時間帯ではありませんでした。そこで、「なぜ、あなたは昼時に来たのですか?」とお釈迦様が訊きます。王は答えます。「我々はとても忙しいのです。時間がないのです。やっと今少々時間がとれたので、釈尊に礼をするために来ました」と。 お釈迦様は、いきなり喩え話を出します。「もし、あなたが裁判をしているときに、あなたが北の方に送った信頼できる諜報員が来て、『王様、北の方から大きな山が転がってきます。すべての家や建物や人間や動物や植物までも潰して潰して、一人の命も残さず、こちらの宮殿に向かってきています』と報告するとします。その報告が終わるやいなや、南の方に送った諜報員が来て、『王様、南の方から大きな山が転がってきます』と、同じ調子で報告します。次に、東の方の諜報員も、西の方の諜報員も、巨大な山がすべての生命を潰しながら宮殿の方へ向かってきていることを報告するのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p47】

 
 
 

最新記事

すべて表示
vipassanā-ñāṇa 観智 ①~⑤

vipassanā-ñāṇa 観智 ①~⑤ ヴィパッサナー実践をする修行者は、まず客観的に観察して、生きるとは何かとデータを集めます。そして ①思惟智が現れます。命とは生滅している流れである、と発見します。次に ②生滅智が現れます。現象は派手に壊れるものである、と発見します。次に ③壊滅智が現れます。今まで生きることに喜びを感じましたが、今度は生きることに対して、恐怖を感じるのです。そして ④怖畏

 
 
 
命は儚い

命は儚い 命には無上の価値があるとしっかり信じてはいるものの、同時に「死ぬのは怖い」とも思っているのです。命に無上の価値があるといって強烈に執着していますが、現実は違います。命は儚いものです。あっけなく死にます。苦労して、やっと命を繋いでいるだけです。それを頭では理解することができます。しかし、気持ちは変わりません。 命には無上の価値があるという錯覚と、命はあっけなく壊れる儚いものであるという現実

 
 
 
観智:⑤ 過患智は無価値の発見

観智:⑤ 過患智は無価値の発見 次の智慧は、過患智ādīnava-ñāṇa です。Ādīnava というのは、disadvantage ということで、「悪いところだけを見る」ということです。ものには長所と短所の両方がありますが、短所だけ見えてしまうということです。「ものごとに長所も短所もあるのだから、あえて短所だけ取り出すことは、悲観主義者のやり方ではないでしょうか? 偏見ではないでしょうか?」そ

 
 
 

コメント


bottom of page