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切迫感・恐怖感を感じさせる ⑵

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月20日
  • 読了時間: 2分

切迫感・恐怖感を感じさせる ⑵ あなたはその場合、どういう態度を取りますか?」。そうお釈迦様が王に訊きます。「いや、そうなったらもうどうしようもないから、死ぬまでの僅かな時間に何か善いことをします。正しく生きるより他に、できることはありませんね」と王様は答えました。 王の答えに対して、お釈迦様はこのように語られます。「今すでに、人の命は四つの巨大な山で潰されつつあるのです。四つの山とは、生・老・病・死です。人が生まれた瞬間から、その生命は生・老・病・死に押し潰されているのです。人には時間を無駄に使う余裕はないのです。真理に従って、正しく生きるより他の選択はないのです」 このようにして、国王の贅沢にふけるだらしない生き方、国政のために罪を犯す生き方を戒めたのです。お釈迦様はあえて、国王の心に恐怖感を入れてあげたのです。王とは、常に暗殺に怯えている生きものです。死の恐れはあるのに、軍事力でそれをごまかしているのです。お釈迦様はコーサラ国王に、「あなたはもうすでに殺されかけているのですよ」と説かれたのです。 真理を発見するために、執着をなくすために、解脱に達するために、常識を乗り越えた恐怖を感じる智慧が必要です。くだらないことを妄想した結果、生まれる恐怖感は、精神病です。しかし、ありのままに現象を観察したところでおのずから起こる恐怖感は、智慧なのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p47】

 
 
 

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