top of page
検索

卵からニワトリは生まれません

  • sapporobukkyoujuku
  • 2月2日
  • 読了時間: 2分

卵からニワトリは生まれません

 人間には線形的な思考は簡単に理解できます。ですが多次元的な関係になると、分からなくなります。因と果の関係は線形的に言えばいたって簡単な教えだと理解してしまいます。ニワトリから卵が生まれると言えば、分かりきったことです。見事な因と果ですね。ニワトリが原因で、卵が結果として現れるのです。線形的に考えがちですから、昔は「ニワトリが先か、卵が先か」という疑問をつくって無駄に遊んでいました。この質問は無意味だと知ってはいますが、今も答えを見つけてはいません。線形的にしか考えられないので、この問題に線形的に答えることは可能です。

 卵からニワトリは生まれません。その結論が間違っているのです。卵は瞬間瞬間、さまざまな因縁の関係によって変化し続けています。「ニワトリが先か、卵が先か」というのは、止まることなく起こる変化の流れの中で、ある二つの時点のみをとって考えているのです。間を無視しています。卵が割れてヒナが生まれたように見えますが、生まれる前から卵の中にヒナがいたのです。もっとさかのぼってみると、卵の中にあったのは白身と黄身の液体です。線形的にしか考える能力がないにもかかわらず、その線形的な流れさえも間違って受け取っているのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p102】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page