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原始脳の力を抑えて大脳の力で生きてみる

  • sapporobukkyoujuku
  • 6月3日
  • 読了時間: 1分

原始脳の力を抑えて大脳の力で生きてみる

 七つの清浄の一と二以外は、一般的な常識で理解するのは難しいと思います。脳の開発という現代的な言葉を使って説明するなら、もしかすると次のような解説になるだろうと思います。普通の人間の大脳は原始脳の指令によって活動します。原始脳とは理解能力がない臓器です。存在欲、怯え・恐怖、怒りなどの感情が現れる場所です。仏教的に言えば、貪瞋痴が活動する場所です。

 戒清浄に挑戦するとは、原始脳の力を抑えて大脳の力で生きてみることです。戒律を守ることが正しいと自分で判断して、意図的に戒律を守らなければいけません。これは大脳の仕事です。戒律を完全に守ることに成功したということは、貪瞋痴の衝動を抑えたという意味です。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p157】

 
 
 

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