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四聖諦の四が消え、八正道の八が消える

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月16日
  • 読了時間: 1分

四聖諦の四が消え、八正道の八が消える

 すべての現象は無常・苦・無我であると発見するとき、現れる智慧の中に入っているのは、苦聖諦と集聖諦です。滅聖諦と道聖諦は入らないと理解した方がよいと思います。道聖諦を実践しているのですから、それをカットしても構わないのですが、智慧に滅聖諦という真理は入っていません。ですが、この終局のステージでは、それも入ります。唯一の真理として、四聖諦を発見します。

 次に疑問になるのは道聖諦である八正道だと思います。項目は八つですから、俗世間のレベルで実践するときは、八種類の実践になります。終局のステージに達すると、八種類の実践を完成しているのです。修行者が終局的なステージに入ったときの心に、その経験も入っています。要するにそれまでの修行(八正道)の結果として、諦随順智が現れたのです(四聖諦の四が消え、八正道の八が消える、とでも言っておきましょう)。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p150】

 
 
 

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