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因縁関係を発見すると一切の疑が消える

  • sapporobukkyoujuku
  • 2月5日
  • 読了時間: 2分

因縁関係を発見すると一切の疑が消える

 すべての現象のありさまは、因縁法則で理解できます。すべての現象は因縁により生じ、因縁により滅します。神がいるか否か、魂があるか否か、死後があるか否か、人間の運命は定まっているか不確定か、業のはたらきはあるか否か、生命はいつ現れたのか、などなど無数無限の問題があります。これら一つにでも納得のいく答えを出すことは誰にもできません。答えの形をとった曖昧な意見ばかりです。この状況は、疑という煩悩が繁殖するのに適した豊かな土壌です。前述のような質問はすべて、線形的な思考です。それも時間の流れを無視して考えています。一切の現象は因縁により生じ、因縁により消えるのだというのが正解です。残念ながらこの法則を発見するのは、人間にとって難しいことです。

 しかし科学者は力ある限りがんばって、物質の因縁関係を探しています。たくさんの関係を発見していますが、まだ終わっていません。これからも新たな因縁関係を発見することでしょう。心の因縁関係に立ち入る余裕はないのです。心の存在さえも、まだ科学的に証明されていません。結論は、因縁関係を発見すると一切の疑が消える、ということです。したがって、度疑清浄に達するためには、因縁関係を発見することです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p103】

 
 
 

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