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大念処経とはどんな経典か

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月31日
  • 読了時間: 1分

大念処経とはどんな経典か

はじめに、『大念処経Mahāsatipaṭṭhānasutta』という経典の名前について説明します。パーリ語でmahā は「大」、sati は「気づく」、paṭṭhāna は「何かをつくる方法」「建てる方法」「やり方」という意味です。sati-paṭṭhāna とは「sati の実践方法」という意味です。これは、sati をいかに実践すれば良いかという、sati そのものについて説かれた経典なのです。それでは、原文を最初から読んでみましょう。 

アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016 p16

 
 
 

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