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如実に見るということ

  • sapporobukkyoujuku
  • 8月5日
  • 読了時間: 1分

如実に見るということ

 正しい観察の仕方という意味で、パーリ語でいつでも使うのはyathābhūtaṃ passati「如実に見る」という言葉です。日本語で人気のある“ありのままに見る”という言葉はその訳です。日本語では一般的な言葉になっていますが、その意味は全然分かっていないようです。「ありのままに見る」というと、ただボケーッと見ることだと勘違いしているのです。仏教の世界では、「ボケーッとして放っておいて見る」ということでは、ありのままに見ることにはなりません。 

アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016 p19

 
 
 

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