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学生は初めから健全な精神状態でいなくてはならない

  • sapporobukkyoujuku
  • 3月24日
  • 読了時間: 1分

学生は初めから健全な精神状態でいなくてはならない

 アビダンマの心理学では、俗世間的な心理学を説明する気持ちは初めからありませんでした。解脱を目指す人間に必要な心理学のみを語っています。俗世間の心理学者から見れば、アビダンマ心理学はもの足りなく感じる可能性もあります。仏教の立場から見れば、俗世間の心理学は幼稚的な遊び以外の何ものでもありません。アビダンマ哲学者たちがさまざまな精神病に対して少々説明を入れておいたならば、現代心理学から見てもアビダンマは完全な心理学になりました。では、なぜ入れなかったのでしょうか。仏教とは一般認識レベルを超えることを目指しています。Uttarimanussadhamma 超人法の境地を目指しています。そのための心理学であって、病気を治療するための心理学ではないのです。アビダンマを学ぶ学生は、初めから健全な精神状態でいなくてはなりません。

 ここまでの説明は、アビダンマの確信の定義は俗世間にある確信とは違うことを説明する目的でおこなったものです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p126】

 
 
 

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