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客観性を育てるプログラム

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年10月1日
  • 読了時間: 1分

客観性を育てるプログラム 客観性に達する実践、解脱に達する実践、それがヴィパッサナー実践になります。 歩く、立つ、座る、などの行為を確認しながらおこなう。判断はしない。身体の感覚も、心のはたらきも、そのまま確認するだけにする。それは生きる上で、現実的に何が起きているのか、客観的なデータを収集することだと理解してください。 心に感情が生まれたときも、その感情とともに、なぜその感情が起きたのかという原因も観察しておく。眼耳鼻舌身意にデータが触れるたびに、そのまま確認する。このように修行し続けると、見事に確認能力が上がります。あまりの勢いでデータが流れるので、主観的な判断をして時間を無駄にすることができなくなるのです。ただ客観的にものごとを観察している、それで精一杯です。観察能力の達人になっているのです。それによって、何事が起きても客観的に観られるようになっています。この能力を、思惟智と言うのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p39】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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