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客観的に現実を観る

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年8月3日
  • 読了時間: 1分

客観的に現実を観る それなら客観的に現実を観ることです。どんなものでも瞬間・瞬間、変化して新しいものに変わっていくのです。古いものはいまあるわけではありません。千年も前のものを、いま見ることは不可能なのです。いま見ているのはいまあるものなのです。これは、千年前から、千年間ずうっと変化し続けていまに至っているだけなのです。だから一億年前の恐竜の化石が見つかったとしても、かつて存在した恐竜は、いまはただの化石に過ぎないのです。だからいま見ているのはいまの存在でしかない。 このように、仏教でものごとは瞬間・瞬間に変化していくという無常論を徹底的にしゃべっているのも、価値観を消すためなのです。価値観を消したところで、守るものはなくなってしまう。私たちの心のなかにある、何とかしなくては、何とか守らなくては、という思いが、もう消えてしまう。消えてしまえば、ホーッと一息ついて、落ち着きます。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p131】

 
 
 

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「因果法則」は存在そのものの研究成果

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