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対象に依存しない感覚の本当の意味

  • sapporobukkyoujuku
  • 8月13日
  • 読了時間: 1分

対象に依存しない感覚の本当の意味 厳密なnirāmisa の意味は、依存しないときの感覚ということです。音を聴いているときの感覚と、聴かないときの感覚。ものを見るときの感覚と、ものを見ないときの感覚、ということなのです。それも結局いいかげんなものです。自分が「それは非苦非楽だ」と解釈してしまったら、ほとんど非苦非楽で終わってしまう。「楽だ」と解釈したら、ずうっと「楽」になるのです。音を聴いているときにはやはり重さを感じて、「苦しいのだ(苦)」と解釈したならば、音がないときはすごく楽しく感じて「楽しいのだ(楽)」というふうに解釈してしまう。それでその解釈した感覚が続いてしまうのです。なぜならば、対象に依存しないで生まれる感覚だから、ずうっと生まれっぱなしの状態にできるのです。音を流しているときの感覚は一時的でしょう。音を消したことで生まれる感覚はずうっと続きます。一時的なもの、という問題は起きないのです。nirāmisa の感覚は、観察すると長持ちしている感じが分かります。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p142】

 
 
 

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