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心を清める七つのステージ ⑴

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年8月26日
  • 読了時間: 2分

心を清める七つのステージ ⑴ ここでまず、七つの項目を出しています。 清浄七つは、戒清浄、心清浄、見清浄、度疑清浄、道非道智見清浄、行道智見清浄、智見清浄です。はじめに、その流れをご説明します。  ① 戒清浄:戒律によって心を清らかにします。性格を洗ってもらって、人間として性格ができた人になります。  ② 心清浄:心を洗ってもらって、心を清らかにしてもらいます。  ③ 見清浄:見解・意見・考え方を洗ってもらって、ちゃんとした哲学者、科学者になってもらいます。  ④ 度疑清浄:これは「疑いを渡る」という段階です。渡るというのは、向こう側へ行く、つまり疑う段階を乗り越えて先へ行くという意味合いです。たとえ頭を洗って、意見が正しい哲学者になっても、「事実は何ですか。真理は何ですか」という疑問のあるレベルがあるのです。その疑問・疑い、「そうであろうと思いますが、よく分かりません。その人の言っていることもそれなりの理由がありそうですが、だからといって正しいかどうか分かりません」という状態は、皆の心にあります。しかし、正見を持っている人は、違います。 「私はあの人が言っていることは信じるのだ」というのは、事実であろうがなかろうが関係ないことで、見清浄にも度疑清浄にもならず、盲信になりかねません。そうではなく、見解を正しくして見清浄のレベルを乗り越えれば、次に度疑清浄のレベルになり、「ああ、真理はこういうものだ」と、はっきり分かるのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p13】

 
 
 

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