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心を清める七つのステージ ⑵

  • sapporobukkyoujuku
  • 8月27日
  • 読了時間: 2分

心を清める七つのステージ ⑵ ⑤ 道非道智見清浄:度疑清浄で真理が分かる段階までくれば、次に智慧が現れてくるのは当たり前なのです。正しいことが分かったのですから、もう疑いはありません。そこまでくれば正しいものについて智慧が現れてきます。なかでも最初に現れてくるのは、道と道でないものについての智見です。「心を清らかにするために、悟るために、真理を知るために、こういうやり方ですよ」という方法論が見つかるのです。 この方法論は、科学の世界で言っているものと同じです。例えば科学の研究をするときは、まず基本的な研究というレベルがありますね。いろいろな本を読んだり議論したりして、いくらか頭にノウハウを叩き込む。そういう予備知識がないと、さすがにどうにもなりません。そして、それから仮説をつくります。仮説は、あらかじめかなりの研究をしていないと立てることができません。いい加減につくるのではなく、それまでの研究や予備知識などに基づき、「たぶんこれが正しいだろう。これで間違いないだろう」というくらいのレベルで、仮説を立てます。 それから、その仮説を立証するために自分で研究しなければいけません。その研究方法は、すでに仮説を立てるときに、「こういうやり方、こういう方法でやってみよう」と決めているものです。ですから、仮説を立てるためには、あらかじめ土台となるように、大変な研究をしておかないといけません。 悟りへの道も、仮説を立てるときに研究方法を決めるのと同じ理屈です。見清浄と度疑清浄で「真理はこれだ」と分かったところで、「では、その真理を体験するためにどういう方法が必要か」といえば、「あの方法では駄目です。この方法しかない」と、道と非道が区別できる智見というところに、その人が到達するのです。どれが真理に至る方法か、至る方法でないか、分かるのだということです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p14】

 
 
 

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