top of page
検索

心清浄とはサマーディのこと

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年11月29日
  • 読了時間: 1分

心清浄とはサマーディのこと サマーディは八種類(アビダンマの分類では九種類)です。どんなサマーディに達するにしても、決まって二つのステップをたどります。1 upacāra-samādhi 近行定 サマーディ瞑想をすると、心がサマーディに完全に似た状態に達します。2 appanā-samādhi 安止定 心がサマーディ状態に達します。 近行定の場合は、修行者が瞑想中であるならば問題ありませんが、瞑想を中断するとその状態もなくなる可能性があります。不安定です。近行定から安止定に達したならば、本格的なサマーディです。その精神状態は、瞑想を中断しても壊れません。しかし気をつけて生活しないと、睡眠状態になった煩悩が目醒めてしまう可能性があります。煩悩が目醒めたら、サマーディ状態が壊れます。そうなると、また初めからやり直しです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p72】

 
 
 

最新記事

すべて表示
現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません

現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません  ここはとても難しいポイントです。智慧は本物です。観察する三相も現象の本物の姿です。ありのままの姿です。修行者も指導者も、疑問に思う必要はまったくありません。では、なぜ障碍になるのでしょうか。修行者が自分の経験を「これは解脱ではないのか」と解釈したからです。これは、ヴィパッサナー実践する誰もが陥りやすい落とし穴です。  修行者はこの落と

 
 
 
観察の汚れ:② 智慧ñāṇa

観察の汚れ:② 智慧ñāṇa  言葉がないので、ñāṇa を智慧と訳しました。仏教用語としての智慧はpaññā です。そのpaññā ではないと言うために、障碍になる智慧についてパーリ語でñāṇa という言葉を使っているのです。  ここで言うñāṇa とは、ヴィパッサナーの智慧のことです。強烈なスピードで無常・苦・無我が観えるのです。どんな現象を観察しても、その現象は無常・苦・無我に分解されて観え

 
 
 
観察の汚れ:① 光obhāsa

観察の汚れ:① 光obhāsa  Obhāsa とは光のことです。瞑想中、頭の中にじわじわと光が現れてきます。まぶしくなるほど明るくなる場合もあります。光とは目を開ければ見えるものですが、この光は目を閉じていても見えます。座る瞑想を止めて歩く瞑想などをするときも、この光がどこにでも現れるようになります。当然、そうでない場合もあります。どの程度の光かということは個人差があると思います。目で光を見るの

 
 
 

コメント


bottom of page