top of page
検索

怖畏智が心に与えるインパクト

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月11日
  • 読了時間: 1分

怖畏智が心に与えるインパクト 修行者が経験する壊滅智は、一般人には決して経験できるものではありません。常識を超える経験なのです。いかなる現象であっても、確実に、瞬間に、壊れていくことを観ています。修行しない一般の方々は、壊れることを妄想して、イメージをつくって、怖いと感じます。恐怖感に悩まされます。それから、恐怖感をなくす方法も探し求めるのです。 修行者は妄想したわけではありません。意図的にイメージをつくったわけでもありません。自分が、瞬間瞬間、認識していくいかなる対象も、その瞬時で壊れていくことを経験するのです。そこで怖畏(恐怖)を感じるのです。これは根拠のない恐怖感ではありません。真理に、現実に基づいて湧いてきた恐怖感です。一般の方々が感じる恐怖感と、比較はできないと思います。怖畏智が心に与えるインパクトは、そうとう強いのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p43】

 
 
 

最新記事

すべて表示
なぜ見解が悪いのか

なぜ見解が悪いのか 概念は、都合により自然に起こる捏造です。存在欲があるから、生きていきたいから、データを捏造するのです。炊いた米を「おいしいご飯だ」と捏造すると、欲が生まれる。ネズミの死骸を「不潔で気持ち悪い」と捏造すると、怒りが生まれる。牧草を「ただの草ではないか」と捏造して無関心な態度をとると、無知が生じる。このような概念を掻き回すと、貪瞋痴がなおさら強くなります。見解という幻覚になるのです

 
 
 
見解は捏造した概念の組み合わせ

見解は捏造した概念の組み合わせ 見解とは具体的にはどういうものでしょうか? 「私がいる」「私に魂がある」「世界は神が創造したものである」「全知全能の神がいる」「死後永遠の命がある」などです。宗教と哲学は組織化された見解なのです。すべての迷信も、極めて厄介な見解です。人間のあいだで一体どれくらい見解があるのか、知るすべもありません。古い見解を受け継いだりもしますし、他人の見解を学んで受け取ったりもし

 
 
 
捏造した概念を組み合わせて新たな概念をつくる

捏造した概念を組み合わせて新たな概念をつくる 捏造する段階は、どうしようもありません。ネズミの死骸を見て、「ご馳走だ」と捏造することは、カラスにとって問題ではありません。しかし、人間がネズミの死骸を「ご馳走だ」と捏造したら困った結果になります。ですからかならず、捏造はその生命の都合に合わせて、自然に起こります。もし捏造した概念を組み合わせて新たな概念をつくったならば、それは仏教用語で「見解」と言い

 
 
 

コメント


bottom of page