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悟りに達した人にだけ経験できるnirodha-samāpatti 滅尽定

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月21日
  • 読了時間: 1分

悟りに達した人にだけ経験できるnirodha-samāpatti 滅尽定

 悟りに達した人にだけ経験できる特別な禅定があります。それはnirodha-samāpatti 滅尽定と言います。このsamāpatti に達することができるのは、不還者と阿羅漢だけです。

 Samāpatti とは禅定に入ることです。禅定に入ったら、修行者の心は揺れ動くことはしません。自分が達したサマーディの心が連続して続きます。同じ心が連続して起こることは、日常生活ではあり得ないのです。日常的認識では、たくさんのデータを認識したり判断したりしなくてはいけません。人が夢も見ないで完全に熟睡しているとき、アビダンマ心理学では有分心が連続しているのだと言います。しかし熟睡の時間は長くありません。あとは夢を見たり、寝返りを打ったりしています。麻酔を注射して強引に神経回路の機能を低下させない限り、長い時間、熟睡状態でいることは不可能です。

 サマーディに入る場合も、同じ心が連続して起こるという点から見ると熟睡状態に似ています。しかしサマーディの心は有分心と大違いです。サマーディの心は力強いのです。喜悦感をつくりだします。安らぎを感じさせるのです。熟睡状態ではありません。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p175】

 
 
 

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