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意見とは、無数

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年9月26日
  • 読了時間: 1分

意見とは、無数 世の中でも、客観性を大事にしていますが、精密に行っているとは言えません。感情も必要だと思っているのです。芸術は感情の世界です。科学の世界ではありません。歴史などの知識も、客観的にデータを調べてつくらなくてはいけないのですが、歴史を研究する人々は、充分なデータがない場合は自分の主観で結論づけることもたびたびあります。また、法律はどうでしょう。明確に客観性を保たなくてはいけない場でありながら、すべての審判が明確に客観的な判断だとは言い切れません。判決に対して上告する再審では、前の判決が取り消されることもあります。 世の中で誰一人として、一つの意見にまとめられないのです。意見とは、無数なのです。意見のぶつかり合いも起こるのです。分かち合ったり、譲歩したり、妥協したりするのは、意見が多数だからです。しかし決して、完全に納得できる状態であるとは言えません。これも主観が引き起こす問題です。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p35】

 
 
 

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