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感覚と幻覚

  • sapporobukkyoujuku
  • 8月22日
  • 読了時間: 1分

感覚と幻覚

 人は感じるものについて、概念を作って思考するのです。感じるところまでは誰でも同じです。概念や思考は、各人の主観になるのです。

お釈迦様は、主観を制御する修行方法まで説かれているのです。世の人々が清らかと思うものに対して不浄だと感じること(厭逆)、不浄だと思うものに対して不浄ではないと感じること(無厭逆)を推薦するのです。これは主観にしがみつくことなく、心を自由にさせるための良い訓練です。

大念処経で説かれているように、ありのままに感覚を観察すると、心が成長して、幻覚を作るはたらきを止めるのです。心を誤作動させないためにも、感覚の観察は欠かせない訓練です。

【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p149】

 
 
 

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