top of page
検索

成長の過程は誰にでも同じ順番で現れる

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月24日
  • 読了時間: 1分

成長の過程は誰にでも同じ順番で現れる

 修行者は修行を戒清浄から始めます。そのときから、心に成長の変化が確実に起こるのです。お釈迦様の教えでは、あっという間に、突然に、解脱に達するということはありません。それは因果法則に反します。種を植えたらあっという間に実った、ということはありません。種から実になるまでのプロセスがあります。種の種類によって、実るまでかかる時間にはバラつきがあることでしょう。桃栗三年柿八年というフレーズに、実るまでのバラつきが現れています。人間の能力にも、バラつきがあります。精進する度合いにもバラつきが出てきます。それによって、修行を始めて悟りに達するまでかかる時間が変わります。実るまでの時間が長かろうが短かろうが、成長の過程は同じです。誰にでも同じ順番で、ヴィパッサナーの智慧が現れるのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p153】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page