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成長の過程は誰にでも同じ順番で現れる

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月24日
  • 読了時間: 1分

成長の過程は誰にでも同じ順番で現れる

 修行者は修行を戒清浄から始めます。そのときから、心に成長の変化が確実に起こるのです。お釈迦様の教えでは、あっという間に、突然に、解脱に達するということはありません。それは因果法則に反します。種を植えたらあっという間に実った、ということはありません。種から実になるまでのプロセスがあります。種の種類によって、実るまでかかる時間にはバラつきがあることでしょう。桃栗三年柿八年というフレーズに、実るまでのバラつきが現れています。人間の能力にも、バラつきがあります。精進する度合いにもバラつきが出てきます。それによって、修行を始めて悟りに達するまでかかる時間が変わります。実るまでの時間が長かろうが短かろうが、成長の過程は同じです。誰にでも同じ順番で、ヴィパッサナーの智慧が現れるのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p153】

 
 
 

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