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止から観・悟りへ

  • sapporobukkyoujuku
  • 8月24日
  • 読了時間: 1分

止から観・悟りへ ヴィパッサナー(観)の実践によって、心はどのように清らかになって最終的に解脱に達するのか、というプロセスが、『アビダンマッタサンガハ』テキストの結論章で論じられています。『念処経Satipaṭṭhāna-suttanta』でお釈迦様が説かれた瞑想の仕方は、ヴィパッサナー瞑想です。一切の生命が清まるために、憂い悲しみを乗り越えるために、悩み苦しみをなくすために、解脱に達するために、正理に達するために、涅槃を経験するために、唯一の道は四念処の実践であると説かれています。ですから、サマタ瞑想の方法はたくさんあっても、ヴィパッサナー瞑想はただ一つなのです。 瞑想の仕方の説明は、アビダンマ心理学の範囲ではありません。瞑想方法は、仏教徒であるなら誰でも知っています。ですから、瞑想のやり方ではなく、心はどうなるのかを説明しています。答えは簡単です。心が清らかになるのです。 無明に支配されて、無始なる過去から極端に汚れている心が、ある日突然、完全に清浄な状態になるわけではありません。徐々に清らかになっていきます。清らかになる階梯があるのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p11】

 
 
 

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