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止から観・悟りへ

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年8月24日
  • 読了時間: 1分

止から観・悟りへ ヴィパッサナー(観)の実践によって、心はどのように清らかになって最終的に解脱に達するのか、というプロセスが、『アビダンマッタサンガハ』テキストの結論章で論じられています。『念処経Satipaṭṭhāna-suttanta』でお釈迦様が説かれた瞑想の仕方は、ヴィパッサナー瞑想です。一切の生命が清まるために、憂い悲しみを乗り越えるために、悩み苦しみをなくすために、解脱に達するために、正理に達するために、涅槃を経験するために、唯一の道は四念処の実践であると説かれています。ですから、サマタ瞑想の方法はたくさんあっても、ヴィパッサナー瞑想はただ一つなのです。 瞑想の仕方の説明は、アビダンマ心理学の範囲ではありません。瞑想方法は、仏教徒であるなら誰でも知っています。ですから、瞑想のやり方ではなく、心はどうなるのかを説明しています。答えは簡単です。心が清らかになるのです。 無明に支配されて、無始なる過去から極端に汚れている心が、ある日突然、完全に清浄な状態になるわけではありません。徐々に清らかになっていきます。清らかになる階梯があるのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p11】

 
 
 

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お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

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