top of page
検索

正しく四聖諦を発見すると諦随順智が現れる

  • sapporobukkyoujuku
  • 1 日前
  • 読了時間: 1分

正しく四聖諦を発見すると諦随順智が現れる

 正しく四聖諦を発見するとは、諦随順智が現れることです。このときは、四聖諦は四つではありません。智慧一つです。これについて、無駄な議論は止めていただきたいのです。四聖諦が一つの真理になるはずがない、もし一つだというなら、それはどういうことだろうか、などと考えるのは、止めた方がよいです。四聖諦を発見するとは、真理はたった一つであるという立場で発見することです。このステージの修行者は俗世間の認識レベルを超えています。出世間的だと名付けるに相応しい智慧に達しているのです(まだ出世間の境地には入っていません)。ですから、四聖諦は真理であるという智慧に達します。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p150】

 
 
 

最新記事

すべて表示
終局のステージの智慧も俗世間の法

終局のステージの智慧も俗世間の法  言葉で書くと、ここまでの説明のようになりますが、修行者の心の中に起こる出来事は言葉にすることはできません。修行者の心の中には四聖諦の四という単語さえも起きません。ただ、一切の現象のありのままの姿を発見するのです。現象は無常・苦・無我であるという立場で、時間をかけて観察して智慧を開発してきたのです。  終局のステージでも同じことかと、思われるでしょう。同じではあり

 
 
 
知識は執着をつくる原因にもなる

知識は執着をつくる原因にもなる  俗世間的な知識で考えると、四聖諦とは四つの項目です。内容はそれぞれ違います。仏弟子は四聖諦を別々に理解します。例えば第一は苦聖諦です。そのとき、生老病死などを学びます。第二の集聖諦は苦をつかさどる原因なので、三種類の渇愛について学びます。三番目の滅聖諦は渇愛がない状態である、したがって涅槃であると、なんとなく理解するだけで終わります。四番目の道聖諦は八項目の八正道

 
 
 
六番目の行道智見清浄:⑨ 諦随順智saccānulomika ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑨ 諦随順智saccānulomika ñāṇa   次に生まれるのは、諦随順智saccānulomika ñāṇa です。Sacca とはお釈迦様が語られた四聖諦のことです。仏道を学ぶ人々は、最初から四聖諦を学びます。徹底的に学んだとしても、弟子の理解は知識範囲に留まります。知識能力で理解できるところまで理解するのです。しかし知識とは、俗世間的な現象です。  知識によって執

 
 
 

コメント


bottom of page