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正知の部 Sampajānapabbaṃ

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年5月30日
  • 読了時間: 2分

5 ‘‘Puna caparaṃ, bhikkhave, bhikkhu abhikkante paṭikkante sampajānakārī hoti, ālokite vilokite sampajānakārī hoti, samiñjite pasārite sampajānakārī hoti, s aṅghāṭipattacīvaradhāraṇe sampajānakārī hoti, asite pīte khāyite sāyite sampajānakārī hoti, uccārapassāvakamme sampajānakārī hoti, gate ṭhite nisinne sutte jāgarite bhāsite tuṇhībhāve sampajānakārī hoti. Iti ajjhattaṃ vā kāye kāyānupassī viharati bahiddhā vā kāye kāyānupassī viharati, ajjhattabahiddhā vā kāye kāyānupassī viharati; samudayadhammānupassī vā kāyasmiṃ viharati, vayadhammānupassī vā kāyasmiṃ viharati, samudayavayadhammānupassī vā kāyasmiṃ viharati. ‘Atthi kāyo’ti vā panassa sati paccupaṭṭhitā hoti. Yāvadeva ñāṇamattāya paṭissatimattāya anissito ca viharati, na ca kiñci loke upādiyati. Evampi kho, bhikkhave, bhikkhu kāye kāyānupassī viharati. 5 つぎにまた、比丘たちよ、比丘は、進むにも、退くにも、正知をもって行動します。真直ぐ見るにも、あちこち見るにも、正知をもって行動します。曲げるにも、伸ばすにも、正知をもって行動します。大衣と鉢衣を持つにも、正知をもって行動します。食べるにも、飲むにも、噛むにも、嘗めるにも、正知をもって行動します。大便・小便をするにも、正知をもって行動します。行くにも、立つにも、坐るにも、眠るにも、目覚めるにも、語るにも、黙するにも、正知をもって行動します。以上のように、内の身において身を観つづけて住みます。あるいは、外の身において身を観つづけて住みます。あるいは、内と外の身において身を観つづけて住みます。また、身において生起の法を観つづけて住みます。あるいは、身において滅尽の法を観つづけて住みます。あるいは、身において生起と滅尽の法を観つづけて住みます。そして、かれに〈身がある〉との念が現前します。それは他でもない、智のため念のためになります。かれは、依存することなく住み、世のいかなるものにも執着することがありません。このようにまた、比丘たちよ、比丘は身において身を観つづけて住むのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016.p78】

 
 
 

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