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永遠を謳う妄想概念

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年7月30日
  • 読了時間: 1分

永遠を謳う妄想概念 なぜ永遠を謳う妄想概念が出て来るかというと、心には長持ちしてほしいという希望があるからです、どんなものについても。炊いたご飯にしても、三時間で腐るのはいやでしょう。とにかくちょっとでも長持ちするようにと、何とか苦労します。冷蔵庫や冷凍庫に入れたり、あるいはちょっと酢を混ぜたり、塩で握って長持ちさせたりする。人間はそうやって長持ちさせるためには努力をする。でもそこにある真理は、「長持ちしない」ということなのです。「長持ちしない」ということが真理であって、私たちの心には「この真理は嫌だ、長持ちしてほしい」という渇愛があります。 だから長持ちするということは錯覚・幻覚なのです。自分の心に生まれた夢に過ぎないのです。そこで皆ずうっと幻覚を追っています。だから、色んな言いわけをつくって、ものに価値を入れます。しかし、どこまで価値を入れたところで、問題はそのままなのです。ものは長持ちしないのです。そして、心には長持ちしてほしいという希望があるのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p130】

 
 
 

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