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滅尽定からの出定

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月26日
  • 読了時間: 1分

滅尽定からの出定

 不還者が出定するとき、最初に不還果心が一回起こります。次に心は有分心に変わります。阿羅漢が出定するとき、最初に阿羅漢果心が一回起こって、心は有分心に変わります。

 有分心から認識をどのように管理するのかということは、その聖者次第です。とはいっても、心はいい加減に揺らいでしまうものではありません。聖者は下のサマーディに順番に落ちて常識範囲に戻るか、滅尽定の後で直接、常識範囲に戻るかします。これでヴィパッサナー瞑想の説明は終了します。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p179】

 
 
 

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