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滅尽定の準備

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月24日
  • 読了時間: 2分

滅尽定の準備

 滅尽定はとても経験しにくいサマーディです。サマーディ瞑想に達して、優れた能力のあるプロの修行者でない限り、滅尽定という状態は起こりません。仏典でも滅尽定に入ったケースは少ないです。しかしお釈迦様は、暇があったらよく入られていたようです。阿羅漢の聖者たちも滅尽定に入った記録はありますが、お釈迦様のように日常茶飯事な感じで入ることはできなかったようです。

 滅尽定に入るための準備があります。瞑想を始める前に、いくつかの項目を誓願しなくてはいけないのです。誓願とは、後に起こってほしい現象が決まった時間で起こるようにと、心で決めることです。

 一般の方々に少々分かりにくいので、現代的な喩えを出します。催眠術のことはよく分かるでしょう。催眠術にかかった人は、催眠術師が言うとおりに誘導されます。Posthypnotic suggestion 後催眠暗示という現象があります。催眠中、催眠術師が「後であなたは◯◯ をします」と暗示をかけます。本人は目覚めて普通に行動しますが、催眠術師に決められた時間がくると、暗示で示された行動をかならずします。「後でやってください」と心に言ってあげれば、心は素直にそのとき決めたことをするようです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p178】

 
 
 

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