top of page
検索

現象が生まれては消える

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年10月3日
  • 読了時間: 1分

現象が生まれては消える 瞬間瞬間の現象を認識することで、脳は精一杯です。言葉を探す暇さえもありません。そこで正直な修行者の心が、まんべんなくすべての現象を確認しようとして、ある方法を発見します。さまざまな現象を、長い期間をかけて確認してきたので、新たに確認するべき新たな現象はないだろう、ただ現象が現れる速さには追いつかないだろう、という気になります。現象というのは、瞬時に現れて、瞬時に消えるのだ、と発見します。それに集中すると、また丁寧に現象を追うことができるようになります。修行者に、自動的に、現象が生まれては消える姿が観えてくるのです。修行中であっても、ご飯を食べたり、他のことをやったりしていても、現れては消える現象が気になります。それでまた、心がいっぱいになります。一切の現象は生まれては消えるものである、という智慧に達します。これが生滅智なのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p41】


 
 
 

最新記事

すべて表示
現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません

現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません  ここはとても難しいポイントです。智慧は本物です。観察する三相も現象の本物の姿です。ありのままの姿です。修行者も指導者も、疑問に思う必要はまったくありません。では、なぜ障碍になるのでしょうか。修行者が自分の経験を「これは解脱ではないのか」と解釈したからです。これは、ヴィパッサナー実践する誰もが陥りやすい落とし穴です。  修行者はこの落と

 
 
 
観察の汚れ:② 智慧ñāṇa

観察の汚れ:② 智慧ñāṇa  言葉がないので、ñāṇa を智慧と訳しました。仏教用語としての智慧はpaññā です。そのpaññā ではないと言うために、障碍になる智慧についてパーリ語でñāṇa という言葉を使っているのです。  ここで言うñāṇa とは、ヴィパッサナーの智慧のことです。強烈なスピードで無常・苦・無我が観えるのです。どんな現象を観察しても、その現象は無常・苦・無我に分解されて観え

 
 
 
観察の汚れ:① 光obhāsa

観察の汚れ:① 光obhāsa  Obhāsa とは光のことです。瞑想中、頭の中にじわじわと光が現れてきます。まぶしくなるほど明るくなる場合もあります。光とは目を開ければ見えるものですが、この光は目を閉じていても見えます。座る瞑想を止めて歩く瞑想などをするときも、この光がどこにでも現れるようになります。当然、そうでない場合もあります。どの程度の光かということは個人差があると思います。目で光を見るの

 
 
 

コメント


bottom of page