生命の善友
- sapporobukkyoujuku
- 9月30日
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生命の善友 すべての生命は、主観で生きるように、主観で判断するようにプログラムされているので、主観性を破って客観性に達したいと思うならば、お釈迦様の助言が欠かせないことになります。お釈迦様は自分のことを「生命の善友である」と説かれたのです。我々の「主」ではありません。我々のことを心配する、善友なのです。 無知を破って目覚めるためには、お釈迦様の教えがどれほど役に立つことか、ということにアーナンダ尊者が気づきました。それに感動した尊者が、お釈迦様に、このように報告します。「尊師、善友に巡り合えば、仏道の半分を完成できます」と。このように言ったのは、人は各自で実践する必要があることに気づいたからかもしれません。しかしお釈迦様は、アーナンダ尊者の言葉を全面的に却下します。「アーナンダ、そのように言ってはならない。善友に巡り合えば、仏道のすべてを完成します」と説かれたのです。(SN45-2. Upaḍḍhasuttaṃ半経:半分の経) このエピソードは、主観を破って客観性に達するために善友の助言がどれほど役に立つのか、ということを物語っています。実際、お釈迦様と直々に対話できた人々の中で、説法を聴いただけで解脱に達した人々がたくさんいました。しかし、だからといって、ブッダの時代には修行する必要がなかった、と結論づけてはなりません。実践が必要なのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p38】
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