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⑺白骨化した死体

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月21日
  • 読了時間: 1分

⑺白骨化した死体 Puna caparaṃ, bhikkhave, bhikkhu seyyathāpi passeyya sarīraṃ sivathikāya chaḍḍitaṃ, aṭṭhikāni setāni saṅkhavaṇṇapaṭibhāgāni. So imameva kāyaṃ upasaṃharati ─つぎにまた、比丘たちよ、比丘は、(7)たとえば墓地に捨てられた、もろもろの骨が白い貝の色のような身体を見るように、この身のみに集中します。 そこで、次は骨だけが見つかるのです。骨はカルシウムだから結構長持ちします。そんな簡単に水に溶けるということはないし、土に埋めてもそう簡単に壊れない。カルシウムで白くなっている骨だけが見つかるのです。それを観たら、人間というのはこんなものになって終わってしまうのだ、私もこうなって終わるのだ、と。だから骨を一本観ても、「これは元は人間の骨だったが、いまはただの骨で、何の意味もない」と観る。自分についても、「自分もこうなるものだ、どんな人でもこうなるのだ」と。 色んなことをして威張っていても結局はこんなものだ、と観ることで、この世に対する心の騒ぎが、それで消えてしまうのです。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p123】

 
 
 

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