top of page
検索

神秘体験を得ることは目的でない

  • sapporobukkyoujuku
  • 1月22日
  • 読了時間: 1分

神秘体験を得ることは目的でない

例えば瞑想中、普通とまったく違った光を体験したとします。脳に起きた現象なので、否定する必要はありません。しかし「したがって、人の魂はまぶしく輝く光である」という哲学は駄目です。そのように言うための証拠はありません。長部経典の第一『Brahmajālasuttanta 梵網経』では、このポイントが明確に語られています。瞑想中、何を経験するか、分かったものではないのです。しかもその経験は、修行者の文化、教育、信仰、洗脳、マインドコントロール、人の影響などによって変わります。真理を発見するために役に立つものではありません。かえって邪魔です。

 ヴィパッサナー実践は、瞑想のこの弱点を解決しています。先入観などが割り込むことはストップします。思考さえもストップしようとするのです。ありのままに観察するのです。何か経験すること、神秘体験を得ることは、目的ではありません。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p97

 
 
 

最新記事

すべて表示
六番目の行道智見清浄:⑥ 脱欲智muñcitukamyatā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑥ 脱欲智muñcitukamyatā ñāṇa  自分がいる状況は確実に危険であると分かれば、そこから脱出したくなります。自分の寝ている部屋が火事になってごうごうと炎が上がっていると発見したら、心は瞬時に脱出したいと思います。「きれいな部屋だったのに」「気に入っていたのに」「模様替えしたばかりだったのに」云々とは考えません。この喩えのように、修行者は一切の現象から脱出するべ

 
 
 
六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa

六番目の行道智見清浄:⑤ 厭離智nibbidā ñāṇa  一切の現象は怖畏のみをつかさどるのが本性であるならば、現象に対する未練を捨ててしまうのが理性的です。おいしそうに見える食べ物がある。食べたいという気持ちもある。その食べ物を徹底的に調べてみたところ、少量服用しただけでも死に至る猛毒で汚染されていると発見する。その発見と同時に、その食べ物に対して今まで持っていた未練は跡形もなく消えるのです。

 
 
 
一切のものごとの短所を発見する

一切のものごとの短所を発見する  ありのままの現象を観察する修行者には、いとも簡単にすべての現象の短所が観えます。短所という言葉を使ったからといって、滅する現象に長所があるわけではありません。ただ怖畏だけ感じても、智慧は足りません。なぜ怖畏なのかと、明確に知った方がよいのです。言葉にすべき理由などはありませんが、現象はなぜ怖畏なのか、明確に発見します。「こういうわけで現象は怖畏です」というような発

 
 
 

コメント


bottom of page