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空とは、行捨智で観察してみる一つの観察の仕方

  • sapporobukkyoujuku
  • 5月18日
  • 読了時間: 1分

空とは、行捨智で観察してみる一つの観察の仕方

 空とは、ヴィパッサナー修行者が智慧の終局のステージの一つ前のステージ(行捨智)で観察してみる、一つの観察の仕方なのです。現象を無常・苦・無我という三つに分けてみる代わりに、一つにするのです。そのとき使う単語は、空です。しかし言葉遊びをしてはいけませんので、さまざまな角度で空を経験的に観察します。まず一つの側面として空を見る。それから、二つの立場で空を観察する。四つ、六つ、八つという立場も説かれていて、最終的に四十二の角度で空を観察するのです。Suñña という言葉は、異様な二重性を持っています。現象の世界の本当の姿に対して空と言えるし、真理に対しても空と言えるのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p151】

 
 
 

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