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第一禅定でも心清浄は完了する

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年12月4日
  • 読了時間: 1分

第一禅定でも心清浄は完了する アビダンマ的には、サマーディのステージが九種類あります。どんなサマーディに達すれば、心清浄に充分と言えるでしょうか。ヴィパッサナー瞑想では、これを大きな問題として扱うことはしません。思考が暴走しない、安定した精神状態に達すれば充分です。ですから、「近行定か安止定」とだけ言われています。 昔の修行者には、修行する暇が充分にあったので、修行者は一生かけて修行するつもりでいました。ですから、基本的なサマタ瞑想から修行を始めたものです。色界の第一禅定から第五禅定まで達しようと努力して、各個人の精神力に応じた結果を得ます。五番目の禅定に達する人もいれば、第一禅定で止まる人もいます。強い精神力の持ち主であるならば、無色界の四つの禅定に挑戦することも可能です。どちらの禅定に入っても、仏教心理学では「五蓋を睡眠状態にしたことである」と説明します。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p74】

 
 
 

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