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経典の総説 

  • sapporobukkyoujuku
  • 8月2日
  • 読了時間: 2分

経典の総説 


2  ‘‘Ekāyano ayaṃ, bhikkhave, maggo sattānaṃ visuddhiyā, sokaparid-evānaṃ samatikkamāya dukkhadomanassānaṃ atthaṅgamāya ñāyassa adhigamāya nibbānassa sacchikiriyāya, yadidaṃ cattāro satipaṭṭhānā. ‘‘Katame cattāro? Idha, bhikkhave, bhikkhu kāye kāyānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā vineyya loke abhijjhādomanassaṃ, vedanāsu vedanānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā, vineyya loke abhijjhādo-manassaṃ, citte cittānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā vineyya loke abhijjhādomanassaṃ, dhammesu dhammānupassī viharati ātāpī sampajāno satimā vineyya loke abhijjhādomanassaṃ  

2 「比丘たちよ、この道は、もろもろの生けるものが清まり、愁いと悲しみを乗り越え、苦しみと憂いが消え、正理を得、涅槃を目のあたり見るための一道です。すなわち、それは四念処です。四とは何か。比丘たちよ、ここに比丘は、身において身を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。もろもろの受において受を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。心において心を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。もろもろの法において法を観つづけ、熱心に、正知をそなえ、念をそなえ、世界における貪欲と憂いを除いて住みます。


 このセンテンスに経典全ての内容、これから何を説明するかという経典の内容が入っています。暗記するためにつくっている経典でもあるので、暗記しやすくなっているのです。この大念処経は一般の人々もかなり暗記しています。長いけれど暗記しているのです。私も子供のころお寺へ行ったとき、在家信者さんたちは、修行に来たら、夜ゆっくりと朝まで暗記して唱えていたのです。さすがにいまの人々は憶えてないみたいですが。私がスリランカにいた三十五年ぐらい前までは、お寺に来るほとんどの人々が憶えていたのです。 

アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016 p17

 
 
 

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