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繰り返し同じ禅定に入る訓練をする

  • sapporobukkyoujuku
  • 7月19日
  • 読了時間: 1分

繰り返し同じ禅定に入る訓練をする

 次に、禅定に入る(samāpajjanaṃ)という言葉があります。それは達した禅定を再び経験することです。最初に禅定を経験する場合は、修行者は上達します。上の次元の資格を獲得します。同じ禅定に再び入ってみると、禅定の安らぎをさらに経験することができるようになるだけです。新たな資格を取ったわけではありません。

 修行者は禅定に入る経験があった方がよいのです。瞑想を教える場合、瞑想に成功したならば、繰り返し同じ禅定に入る訓練をするようにと指導されています。医者・弁護士などの職業の場合は、資格を取ってからインターンとして修業します。プロとして認められるのは、インターン修了後です。しかし新たな資格を取ったわけではないのです。サマーディに入る訓練は、インターンの修業と似ています。この訓練後、好きな時間、禅定に入ることができます。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p174】

 
 
 

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