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自分の修行は完了したのだろうかと、観察する

  • sapporobukkyoujuku
  • 1 日前
  • 読了時間: 1分

自分の修行は完了したのだろうかと、観察する

 この観察が終わったら、自分の修行は完了したのだろうかと、観察します。まだいくつかの煩悩が残っていること、まだまだ感情が湧きでる可能性があることを発見します。それは残りの煩悩の観察です。

 残りの煩悩の観察が、悟りに達してたちまちできるかどうかは分かりません。解脱に達したショックが冷めたところで、再び心を観察するやり方もよいと思います。遅かれ早かれこの観察をしないと、上位の悟りを目指して修行する意欲が起こらないのです。悟りを経験してから修行者がおこなう観察は、これで終了です。

 七つの清浄の七番目は智見清浄と言います。観察が終了したところで、七番目の智見清浄が完成するのです。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p163】

 
 
 

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