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苦・楽・非苦非楽を観る

  • sapporobukkyoujuku
  • 8月6日
  • 読了時間: 1分

 9 ‘‘Kathañca pana, bhikkhave, bhikkhu vedanāsu vedanānupassī viharati? Idha, bhikkhave, bhikkhu sukhaṃ vā vedanaṃ vedayamāno ‘sukhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti pajānāti. Dukkhaṃ vā vedanaṃ vedayamāno ‘dukkhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti pajānāti. Adukkhamasukhaṃ vā vedanaṃ vedayamāno ‘adukkhamasukhaṃ vedanaṃ vedayāmī’ti pajānāti.つぎにまた、比丘たちよ、どのようにして比丘は、もろもろの受において受を観つづけて住むのか。比丘たちよ、ここに比丘は、楽を感受すれば〈私は楽を感受する〉と知ります。あるいは、苦を感受すれば〈私は苦を感受する〉と知ります。あるいは、非苦非楽を感受すれば〈私は非苦非楽を感受する〉と知ります。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p136】

 
 
 

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