top of page
検索

観智:② 生滅智は現象の生滅を観る

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年10月2日
  • 読了時間: 1分

観智:② 生滅智は現象の生滅を観る 二番目のステージは、udayabbaya-ñāṇa 生滅智です。思惟智に達した人が、次に生滅智に達するのです。智慧は順番に起こるものであると理解してください。身体に起こる動き・感覚、心のはたらき、感情の波など、なんであろうとも確認しようとすると、その観察能力が上がるだけではなく、心が目まぐるしく忙しくなってしまうのです。集中力ができているのです。 実践の初めの頃は、さまざまな言葉で感覚を確認するのです。しかし、妄想が極端に減って、どんな現象でも確認できるようになると、新たな状況が現れてきます。自分の身体に起こる現象は、あまりにも激しい勢いで起きているのです。言葉の確認は追いつかない状態です。言葉で確認すると、その間にも、いくつかの現象が起きて消えたのではないかということが分かります。脳がフルに活動しているからこそ、この状況に気づくのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p41】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page