top of page
検索

観智:② 生滅智は現象の生滅を観る

  • sapporobukkyoujuku
  • 10月2日
  • 読了時間: 1分

観智:② 生滅智は現象の生滅を観る 二番目のステージは、udayabbaya-ñāṇa 生滅智です。思惟智に達した人が、次に生滅智に達するのです。智慧は順番に起こるものであると理解してください。身体に起こる動き・感覚、心のはたらき、感情の波など、なんであろうとも確認しようとすると、その観察能力が上がるだけではなく、心が目まぐるしく忙しくなってしまうのです。集中力ができているのです。 実践の初めの頃は、さまざまな言葉で感覚を確認するのです。しかし、妄想が極端に減って、どんな現象でも確認できるようになると、新たな状況が現れてきます。自分の身体に起こる現象は、あまりにも激しい勢いで起きているのです。言葉の確認は追いつかない状態です。言葉で確認すると、その間にも、いくつかの現象が起きて消えたのではないかということが分かります。脳がフルに活動しているからこそ、この状況に気づくのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p41】

 
 
 

最新記事

すべて表示
見解を破る

見解を破る 解脱の境地に達する修行者は、捏造機能を止めるのです。自然に捏造してしまう習慣がなくなった状態は悟りであると、釈尊は説かれます。 修行を始めた私たちに、いきなり捏造機能をストップすることはできません。それには長い修行が必要です。順番に進めばよいのです。最初は見解を破るところからです。すべての見解がいい加減な幻覚であると発見するのです。目覚めてみるのです。 我々の心は、どれほどの見解・信仰

 
 
 
なぜ見解が悪いのか

なぜ見解が悪いのか 概念は、都合により自然に起こる捏造です。存在欲があるから、生きていきたいから、データを捏造するのです。炊いた米を「おいしいご飯だ」と捏造すると、欲が生まれる。ネズミの死骸を「不潔で気持ち悪い」と捏造すると、怒りが生まれる。牧草を「ただの草ではないか」と捏造して無関心な態度をとると、無知が生じる。このような概念を掻き回すと、貪瞋痴がなおさら強くなります。見解という幻覚になるのです

 
 
 
見解は捏造した概念の組み合わせ

見解は捏造した概念の組み合わせ 見解とは具体的にはどういうものでしょうか? 「私がいる」「私に魂がある」「世界は神が創造したものである」「全知全能の神がいる」「死後永遠の命がある」などです。宗教と哲学は組織化された見解なのです。すべての迷信も、極めて厄介な見解です。人間のあいだで一体どれくらい見解があるのか、知るすべもありません。古い見解を受け継いだりもしますし、他人の見解を学んで受け取ったりもし

 
 
 

コメント


bottom of page