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観智:⑤ 過患智は無価値の発見

  • sapporobukkyoujuku
  • 2 日前
  • 読了時間: 1分

観智:⑤ 過患智は無価値の発見 次の智慧は、過患智ādīnava-ñāṇa です。Ādīnava というのは、disadvantage ということで、「悪いところだけを見る」ということです。ものには長所と短所の両方がありますが、短所だけ見えてしまうということです。「ものごとに長所も短所もあるのだから、あえて短所だけ取り出すことは、悲観主義者のやり方ではないでしょうか? 偏見ではないでしょうか?」そう思うのは、偏見を持っている俗世間の人間です。人間の生き方は、それとは違います。皆、自分の命に、この上ない価値があるという前提で生きているのです。 命に価値があると証明したわけではないし、調べたこともありません。ただの気持ちです。本能として、その気持ちがあるのです。「命には無上の価値がある」という錯覚がなければ、生きていられないのです。そう信じなければ、苦労を無視して生きることにがんばることができないのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p48】

 
 
 

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