top of page
検索

観業処:② 心清浄

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年9月1日
  • 読了時間: 1分

観業処:② 心清浄 正しい生き方の次に、心の準備をしなくてはいけません。心が乱れたり、集中力がなかったり、やる気がなくなったり、感情の波に流されたりすると、何もできません。ですから、心に集中力を付けて、感情の波の攻撃を受けないようにするのです。 このステージで、さらに心が清浄へと進みます。心を安定させるためには、サマタ瞑想が効果的です。サマタ瞑想で禅定に達したことがあれば充分です。第一禅定に達しただけでも、心の成長を妨げる五蓋は睡眠状態になっています。そうなれば、準備が整っていることになり、本格的なヴィパッサナー実践はこれから、ということになります。しかし、サマタ瞑想の経験なしにヴィパッサナー実践をする人も、困る必要はありません。ヴィパッサナー実践の中にも、サマタ瞑想の特色が入っています。ですから、ヴィパッサナー実践だけであっても、サマタ瞑想も並行して実践していることになるのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p17】

 
 
 

最新記事

すべて表示
お釈迦様が発見された因果法則

お釈迦様が発見された因果法則では、「Aがあるとき、B が生まれる」ということでA とB の間で必然的な関係が生まれてくるのです。因果法則を語る場合、お釈迦様はtathatā(かくの如き状態、真如、涅槃)、avitathatā(虚妄でない状態、真実なる状態、不異如性、真性、不虚妄性)、anaññathā(不異如に、不異に、真実に)、idapaccayatā(これを縁とすること、縁起の道理、此因性、相

 
 
 
「因果法則」は存在そのものの研究成果

「因果法則」は存在そのものの研究成果  お釈迦様の立場からは、単なる純粋論理pure logic というのは意味がないのです。いくらでも回転していくのですから。純粋論理ではなくて、実践性practicability という、実際の人間の生き方にどれぐらい当てはまるかということ、人間の生き方そのものが一番大事であって、そこを抜きに論理だけを発展させません。お釈迦様は人間が生きていること、存在そのもの

 
 
 
広げていけれど

とにかく論理学を広げていくけれど、なかなか実例は出てこなくなってしまいます。数学の場合も同じことで、いくらでも数学は語れますし、つくれますが、実際の世界では例はなくなってしまうのです。そういうことで、古代インド、お釈迦様の時代では「論理だけ」というのはあまり人気がなかったのです。「お釈迦様は論理的だ」と言われたらすごく気に入らない。そういう評判を聞くと、出かけて行って反論する。黙ってはいないのです

 
 
 

コメント


bottom of page