観業処:⑦ 智見清浄sapporobukkyoujuku2025年9月7日読了時間: 1分観業処:⑦ 智見清浄 学校の喩えでいえば、研究が何の問題もなく進んで、論文を提出して、卒業する段階です。 ヴィパッサナーの場合は、一方通行の高速道路に入ったので、当然、悟り・解脱を経験することになります。この段階が智見清浄です。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p20】
現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません ここはとても難しいポイントです。智慧は本物です。観察する三相も現象の本物の姿です。ありのままの姿です。修行者も指導者も、疑問に思う必要はまったくありません。では、なぜ障碍になるのでしょうか。修行者が自分の経験を「これは解脱ではないのか」と解釈したからです。これは、ヴィパッサナー実践する誰もが陥りやすい落とし穴です。 修行者はこの落と
観察の汚れ:② 智慧ñāṇa観察の汚れ:② 智慧ñāṇa 言葉がないので、ñāṇa を智慧と訳しました。仏教用語としての智慧はpaññā です。そのpaññā ではないと言うために、障碍になる智慧についてパーリ語でñāṇa という言葉を使っているのです。 ここで言うñāṇa とは、ヴィパッサナーの智慧のことです。強烈なスピードで無常・苦・無我が観えるのです。どんな現象を観察しても、その現象は無常・苦・無我に分解されて観え
観察の汚れ:① 光obhāsa観察の汚れ:① 光obhāsa Obhāsa とは光のことです。瞑想中、頭の中にじわじわと光が現れてきます。まぶしくなるほど明るくなる場合もあります。光とは目を開ければ見えるものですが、この光は目を閉じていても見えます。座る瞑想を止めて歩く瞑想などをするときも、この光がどこにでも現れるようになります。当然、そうでない場合もあります。どの程度の光かということは個人差があると思います。目で光を見るの
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