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解脱の三つの名称animitta-vimokkha 無相解脱

  • sapporobukkyoujuku
  • 6月28日
  • 読了時間: 1分

解脱の三つの名称

animitta-vimokkha 無相解脱

 七番目の智見清浄に入った修行者の心に、一切の現象の無常という本性がとても分かりやすくなって、自然にその本性に集中するようになったとしましょう。そのとき、修行者は無常という本性のみを観察しています。心に無常を観察するsammasana-ñāṇa思惟智が生じているのです。次に、gotrabhū 種姓という心が生じます。次に道心と果心が順番に起きて、解脱に達します。このように解脱に達する場合は、その解脱をanimitta-vimokkha 無相解脱と言います。これは、理解が難しい複雑な話ではありません。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p166】

 
 
 

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