解脱は同じですが、名称だけ三つ
- sapporobukkyoujuku
- 7月7日
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解脱は同じですが、名称だけ三つ
例えば、無我に集中して解脱に達した聖者は、一般の方々に「五蘊は空であると発見した」と説くでしょう。無常に集中して解脱に達した聖者は、一般の方々に「五蘊は無相であると発見した」と説くでしょう。苦に集中して解脱に達した聖者は、一般の方々に「五蘊は無願である、決して期待に値するものではないと発見した」と説くでしょう。
それで一般の方々は、誰の解脱が本物なのかと議論して、ひどい目に遭う可能性があります。修行する人々も、先輩たちが使う言葉がばらばらなので、疑問に陥る可能性があります。これはとても危険な状態です。解脱に達する道が閉ざされてしまう恐れもあります。しかし、お釈迦様がこの問題を見事に解決なさいました。無常・苦・無我という三相に合わせて、解脱に三つの名前を付けられました。解脱は同じですが、名称だけ三つです。解脱に達した人々の発表に使う表現も、それに合わせて変わります。
【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p168】
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