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解脱を狙い撃ちにする実践方法

  • sapporobukkyoujuku
  • 9月24日
  • 読了時間: 1分

解脱を狙い撃ちにする実践方法 先にサマタ瞑想をおこなって集中力を上げたならば、観察実践がやりやすくなる可能性があります。しかしサマタ瞑想の経験が、かならず智慧に繋がるという保証はありません。サマタ瞑想の喜悦感に執着してしまって、解脱への興味を失う恐れもあります。 ヴィパッサナーとは瞑想ではなく、解脱を狙い撃ちにする実践方法です。私たちは、ヴィパッサナー実践を始める方々に、身体の動き、身体の感覚を言葉で確認するように推薦します。この訓練ができるようになると、思惟智に達するのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p34】

 
 
 

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見解を破る

見解を破る 解脱の境地に達する修行者は、捏造機能を止めるのです。自然に捏造してしまう習慣がなくなった状態は悟りであると、釈尊は説かれます。 修行を始めた私たちに、いきなり捏造機能をストップすることはできません。それには長い修行が必要です。順番に進めばよいのです。最初は見解を破るところからです。すべての見解がいい加減な幻覚であると発見するのです。目覚めてみるのです。 我々の心は、どれほどの見解・信仰

 
 
 
なぜ見解が悪いのか

なぜ見解が悪いのか 概念は、都合により自然に起こる捏造です。存在欲があるから、生きていきたいから、データを捏造するのです。炊いた米を「おいしいご飯だ」と捏造すると、欲が生まれる。ネズミの死骸を「不潔で気持ち悪い」と捏造すると、怒りが生まれる。牧草を「ただの草ではないか」と捏造して無関心な態度をとると、無知が生じる。このような概念を掻き回すと、貪瞋痴がなおさら強くなります。見解という幻覚になるのです

 
 
 
見解は捏造した概念の組み合わせ

見解は捏造した概念の組み合わせ 見解とは具体的にはどういうものでしょうか? 「私がいる」「私に魂がある」「世界は神が創造したものである」「全知全能の神がいる」「死後永遠の命がある」などです。宗教と哲学は組織化された見解なのです。すべての迷信も、極めて厄介な見解です。人間のあいだで一体どれくらい見解があるのか、知るすべもありません。古い見解を受け継いだりもしますし、他人の見解を学んで受け取ったりもし

 
 
 

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