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認識論的な診断 

  • sapporobukkyoujuku
  • 8月7日
  • 読了時間: 2分

認識論的な診断 

 そこで、誰かが何か変てこな教えを説いているのならば、その人を認識論的に診断して、知識を得た方法を調べなくてはならないのです。先述した『梵網経Brahmajālasutta』には、お釈迦様の方法論の特色が記録されています。簡単に読める経典ですので、ぜひ読んでみてください。お釈迦様は哲学的に認識論の立場から、古代インドにあったあらゆる宗教哲学を分析しています。一つだけ例を出します。例えば「魂は無限である」という哲学がある。無限という立場を魂に当てはめて時と空に分けてみると、時間的にも無限であって、空間的にも無限であると二つありますけど、それまた、きめ細かく分析するのです。魂が空間的に有限か無限か、時間的に有限か無限か云々と。そこで哲学的に「我論」を二つに分けると、時間的な有限、無限という二つがあって、それから空間的に有限か無限かという相違が出てきて、その二つを組み合わせると、さらにたくさんの思想的な立場ができ上がってしまう。「空間的には有限だが、時間的には無限である。だから魂は小さいけれど永遠である」ということにもなるのです。一方には、「魂は空間的にも時間的にも無限である。魂は巨大であって、またさらに永遠である」という立場も成り立つ。もう一つ、「魂は時間的には有限で、空間的には無限である」という立場もある。魂は無限に広がる大きな存在ですが、時間的には有限だから、魂も死んでしまう、いつか消えてしまうと主張する。そのように、同じ「我・魂」についても色んなことを考えることはできるのです。このような様々な魂に対する結論について、何一つも客観的なデータを取れないのです。そういう哲学は単に論理的な思考の産物ですから、仏教ではただの理屈、論理というものはほとんど評価していないのです。 

アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンンガ2016 p20

 
 
 

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