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身体の感覚を分かりやすく三つに分けて観る

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年8月6日
  • 読了時間: 1分

身体の感覚を分かりやすく三つに分けて観る 受というのは身体の感覚です。その身体の感覚を分かりやすく三つに分けて観るのです。一つめは、sukhaṃ vedanaṃ「楽」楽しい感覚(気持ち)です。その感覚(気持ち)が身体に生まれたら、「いまは楽しい感覚です」と確認します。次にdukkhaṃ vedanaṃ「苦」苦しみ・痛みの感覚(気持ち)です。その感覚(気持ち)が生まれたら「いまは苦しみの感覚です」と確認します。それからadukkhamasukhaṃ vedanaṃ 楽とも苦しみとも言えない感覚が生まれているとき、「いまは非苦非楽の感覚です」と確認します。そうやって感覚の世界をきちんと三つに分けて確認していくという実践です。全ての受を楽と苦と非苦非楽に分けてみる。それしか感覚はないはずなのです。この三つに分けて観察すると、心が変わってしまうはずなのです。苦・楽・非苦非楽の三つしかない感覚に、価値を入れることができるでしょうか、ということになるのです。例えば私たちは、いつも「楽」の感覚に強く価値を入れているでしょう。では、自分に「楽」の感覚(気持ち)がどれぐらいあるのか、と観てみればいいのです。最初はこの三つのセットで観察しますが、次にまたもっと感覚を分けて考えてみます。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p136】

 
 
 

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