top of page
検索

身体の感覚を分かりやすく三つに分けて観る

  • sapporobukkyoujuku
  • 8月6日
  • 読了時間: 1分

身体の感覚を分かりやすく三つに分けて観る 受というのは身体の感覚です。その身体の感覚を分かりやすく三つに分けて観るのです。一つめは、sukhaṃ vedanaṃ「楽」楽しい感覚(気持ち)です。その感覚(気持ち)が身体に生まれたら、「いまは楽しい感覚です」と確認します。次にdukkhaṃ vedanaṃ「苦」苦しみ・痛みの感覚(気持ち)です。その感覚(気持ち)が生まれたら「いまは苦しみの感覚です」と確認します。それからadukkhamasukhaṃ vedanaṃ 楽とも苦しみとも言えない感覚が生まれているとき、「いまは非苦非楽の感覚です」と確認します。そうやって感覚の世界をきちんと三つに分けて確認していくという実践です。全ての受を楽と苦と非苦非楽に分けてみる。それしか感覚はないはずなのです。この三つに分けて観察すると、心が変わってしまうはずなのです。苦・楽・非苦非楽の三つしかない感覚に、価値を入れることができるでしょうか、ということになるのです。例えば私たちは、いつも「楽」の感覚に強く価値を入れているでしょう。では、自分に「楽」の感覚(気持ち)がどれぐらいあるのか、と観てみればいいのです。最初はこの三つのセットで観察しますが、次にまたもっと感覚を分けて考えてみます。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p136】

 
 
 

最新記事

すべて表示
ヴィパッサナー瞑想の対象

サマタ瞑想とは、精神的に向上することです。ヴィパッサナー瞑想は、清浄visuddhi に達することです。精神的に向上した人の心もある程度は清らかですが、汚れる恐れがあります。清浄に達する人々の心は、当然、精神的にも向上しています。清浄の七段階を紹介してから、アビダンマ・テキ...

 
 
 
観業処:⑦ 智見清浄

観業処:⑦ 智見清浄  学校の喩えでいえば、研究が何の問題もなく進んで、論文を提出して、卒業する段階です。 ヴィパッサナーの場合は、一方通行の高速道路に入ったので、当然、悟り・解脱を経験することになります。この段階が智見清浄です。【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心...

 
 
 
観業処:⑥ 行道智見清浄

観業処:⑥ 行道智見清浄  学校の喩えの続きです。五番目までに、自分の研究テーマを決めて、邪魔になる他の研究をすべて捨てたのです。その先は、自分が決めた研究テーマに沿った勉強や研究をひたすら進めます。そうして、どんどん成長していき、新たな発見をしていきます。そのような段階が...

 
 
 

コメント


bottom of page