身体の肉が栄養であるなら
- sapporobukkyoujuku
- 7月16日
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身体の肉が栄養であるなら もし身体の肉が栄養であるならば、誰が死んだとしても、放っておけば他の動物が見つけてそれを食べるのは当然です。どこかの山奥に旅客機が墜落したとき、そこで越冬して生き残った人々が、仲間の肉を食べてやっと生き残ったという話がありますね。映画にもなった実話のようですが、映画にするまでもなく、普通のことなのです。いまだに我々は、死体を食べて生きているのです。なくなった人間の肉を食べたからといって、そんな珍しいことでも変なことでもない。いまも同じく死体(魚、豚、牛、鶏など)の肉を食べて身体を大きくしているのです。 おかしいことは鳥肉や豚肉を食べる場合は、「死体を食べている」とは思わない。魚を食べても、「死体を食べている」とは思わない。そこで人が猫を食べてしまうと、「この人は変な人だ、猫を殺して食べているのだ」と驚く。でも、猫を食べても蛇を食べても、ゴキブリをあさりの代りに味噌汁に入れてもどうってことはないのです。「これは食べるもの、これは食べられないもの」と自分たちの色眼鏡で勝手に決めつけているだけのことです。 そうやって死体を観察してpatissati 、sati が入ってしまう(確立してしまう)と、世のなかでやっている大騒ぎが、心のなかからきれいに消えてしまいます。 【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016 p116】
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