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道心(magga-citta)と果心(phala-citta)の違い

  • sapporobukkyoujuku
  • 6月8日
  • 読了時間: 1分

道心(magga-citta)と果心(phala-citta)の違い

  以上、悟りの過程と心の上達について詳しく説明しました。本来はここで基本アビダンマは終了するべきです。アビダンマとは、一切の現象を極限まで微細に分析して語る方法です。一つの現象である心は、八十九か百二十一種類に分けて説明されています。八十九のグループで考えると出世間心は八種類です。その八種類は、預流道心・預流果心、一来道心・一来果心、不還道心・不還果心、阿羅漢道心・阿羅漢果心です。ここで悟りの心を道心・果心という二つに分けました。必要な解説は『ブッダの実践心理学』第二巻の四章にあります。

 道心・果心は出世間心というので、世間の次元を破ったことを意味します。色界・無色界のサマーディも世間の次元に入ります。普通の心(凡夫の心)がどのように次元を破って出世間(解脱)の境地に達するのか、説明する必要があります。

【アルボムッレ・スマナサーラ、ブッダの実践心理学第8巻、株式会社サンガ2013 p158】

 
 
 

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