top of page
検索

集中力と楽しみの関係

  • sapporobukkyoujuku
  • 2025年6月2日
  • 読了時間: 1分

集中力と楽しみの関係 世間話になりますが、集中力と楽しみの関係を理解したほうが役に立つと思います。人生を楽しみたいと、皆思っています。しかし楽しみとは何かと分かっていないのです。それなら楽しみを得られません。旅に出たいと思っても、行き先が全く決まらない場合は、旅に出られないのです。それで私たちは、音楽を聴いたり映画を観たりゲームをやったり踊ったりして、楽しもうとする。実際、楽しくもなるのです。この楽しみは何なのかと分からないので、映画・音楽などに依存してしまうのです。この楽しみは、映画や音楽がつくってくれるものではありません。映画や音楽に集中できたから楽しかったのです。ですから人に、好きな音楽も嫌いな音楽もある。好きな映画も気に入らない映画もある。簡単にいえば、自分が乗りたいか、乗りたくないか、という差です。アカデミー賞などを獲るのは、芸術的に最高な作品とは言い切れません。たくさんの人々が簡単に乗れる映画が賞を獲るのです。大ヒットして、ブロックバスターになるのです。【アルボムッレ・スマナサーラ、大念処経、株式会社サンガ2016.p8Ⅰ】

 
 
 

最新記事

すべて表示
観察の汚れ:③ 喜pīti

観察の汚れ:③ 喜pīti  修行中、喜びが湧いてきます。今までも修行が進んでいると喜びを感じた経験があったことでしょう。それは「うまくいっている」という程度の喜びです。しかし、今度のこれはわけが違います。喜びの波が溢あふれ出すのです。何かやり遂げたときの喜びと違って、喜びの波が勝手に現れて、身体中に行き渡ります。終わりそうもない気がします。純粋な喜びなので、何の副作用も見当たりません。「喜び中毒

 
 
 
現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません

現象のありのままの姿を観ていることが解脱であるとは言えません  ここはとても難しいポイントです。智慧は本物です。観察する三相も現象の本物の姿です。ありのままの姿です。修行者も指導者も、疑問に思う必要はまったくありません。では、なぜ障碍になるのでしょうか。修行者が自分の経験を「これは解脱ではないのか」と解釈したからです。これは、ヴィパッサナー実践する誰もが陥りやすい落とし穴です。  修行者はこの落と

 
 
 
観察の汚れ:② 智慧ñāṇa

観察の汚れ:② 智慧ñāṇa  言葉がないので、ñāṇa を智慧と訳しました。仏教用語としての智慧はpaññā です。そのpaññā ではないと言うために、障碍になる智慧についてパーリ語でñāṇa という言葉を使っているのです。  ここで言うñāṇa とは、ヴィパッサナーの智慧のことです。強烈なスピードで無常・苦・無我が観えるのです。どんな現象を観察しても、その現象は無常・苦・無我に分解されて観え

 
 
 

コメント


bottom of page